対談 遠藤周作 - さとみ (男性)
2024/04/24 (Wed) 00:10:05
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「狐狸庵ぐうたら怠談」 その1
◆息子と弟
美空 (遠藤氏の手を握り)しばらくでした。先生とは久しぶり。
遠藤 (うなずいて)お母さん、残念なことしたなあ。
美空 もう四年前になります。
遠藤 お苦しみにならなかった……。
美空 はい、眠るように。
遠藤 あなたにもいろんなことあったものなァ。
美空 弟の哲也が跡を継いでやるって頑張っていたんですけど、あの子が早かったんです。厄年を気にして、大事をとっていたのに……。
遠藤 いま、家を建てかえているんだって。
美空 ええ、おふくろも弟も死んで、いろいろ続いたから。三十八年も歌っていると、ただ好きなだけではこれから頑張って歌える自信がないので、何か目標を立てようと思ったんです。だから借金して家を建てればって。
遠藤 美空ひばりだったら、その借金は一年だな。
美空 とんでもない。でもそうやって頑張ればもう少し長く歌えそうな気がしたんです。
遠藤 ぼくは、君を国民的人物だと思うとる。ぼくらの年齢の者は、戦後と美空ひばりがずっと同じに来ている。だから国民栄誉賞を与えるべきだと思うとる。
美空 それをいただいたのは、生きてらっしゃる方では王(ワン)ちゃんだけですね。
遠藤 あなたは生きているうちにもらえる。
美空 ムリだとおもうんですけど。
遠藤 いや、あなたは八十八歳まで生きるだろうから。本当にエライ人よ、あなたは。
美空 体がエライだけですよ。二十代、三十代の人と働いていると体の疲れがもう全然ちがうんです。
遠藤 まだ五十代になっていないでしょ。
美空 もう目の前なんです。
遠藤 五十五をすぎると、疲れ方はますますひどくなる。お手洗いが近くなったり、鼻水がボタボタたれたり……。まあ、それは別にして、四十の後半になると一緒に生きてきた人間が欠けてくるでしょう。その数がだんだん増えてくる。寂しい、つらいことだね。江利チエミさんも亡くなったな。
美空 あの人もひとごとと思えないのは、人間てひとりぼっちにさせたら絶対に危険なんです。私も今いちばん危険なのはそれで、ひとりぼっちにさせないで欲しい。でもしようがないんですね。チエミだって、お酒でずいぶん体をいためちゃって。
遠藤 君はそんなしたらイカンよ。でも君にはいま子供がいるから、それに集中できるでしょう。おいくつ。
美空 中学の一年になりました。息子は可愛いんですけど、やっぱり自分でお腹を痛めた子じゃないから――というと卑怯だけど、預かったのだから何とか立派に育ててなきゃいけないし。
遠藤 彼が社会人になるまではね。
美空 私が死んだあと、遺産は全部あの子のものになるんですね。それ考えると、指輪とか毛皮を買おうと思っても「あ、死んだら所詮あの子の彼女に持っていかれちゃう」って、もったいないような気がして。
遠藤 でもうれしいだろう。
美空 もったいないですよ。汗みず流して歌って買ったものが……。
遠藤 (笑って)お棺といっしょに持っていきたいの。
美空 知らない女のひとに持っていかれるかと考えると、くやしいような気がする。息子は可愛いけど、何となくもったいないと思うんです。
遠藤 嫁さんに持っていかれるのはイヤか。ま、もうひとり、弟さんがいらっしゃるでしょう。
美空 はい、その子が末っ子なんです。こんど土浦で商売をやらせました。「養老乃瀧」の姉妹店みたいなものを。このあいだ行って来たんですが、姉さんよく来てくれたと言って焼き鳥を焼きながら泣くんです。泣くんじゃないよ、そういうの見ると辛いからさあ、って夜中の三時までチューハイ呑んで語りました。
(『夕刊フジ』 昭和59年5月8日付)
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