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<すべての男は消耗品である 最終巻> - まろや (女性)

2021/03/05 (Fri) 22:51:02
*.dion.ne.jp

●書名=すべての男は消耗品である 最終巻
(※1984年から34年間続いたエッセイ集の最終巻) 
●著者=村上 龍
●発行所=幻冬舎
●発行年=令和2(2020)年4月10日

ー確かに美空ひばりだ、すごい、そう思ったー P.99~P,105

  前回、聞く音楽がないという状態について書いた。そのあと、周囲の友人たちに「最近、どんな歌を聞いてる?」と質問したのだが、「これといって、聞いている音楽はない」という返事ばかりだった。わたしの友人はほとんどがメディア関係者で、かつ、若くても30代後半なので、もっと若い人は、今の日本のポップスを好んで聞いているのかもしれない。そもそも「よく音楽を聞く」時期に、特にポップスを必要とするのは、若いときだけかもしれない。
  わたしがiTunesで作ったプレイリストは、全部で20近くある。クラシックは当然のことだが、他のカテゴリーでも、だいぶ前に作られた古いものばかりだ。いい曲だが、すべて覚えてしまっている。飽きるということはないのだが、イントロ、歌詞、間奏、覚えてしまっている。

・ ・・(略)・・・

  美空ひばりのプレイリストを作った。彼女自身のレパートリーは含まない。美空ひばりがカバーしているヒット曲をダウンロードして作成した。あまりに古い曲ばかりで、この雑誌の読者に申し訳ない気がするので、全曲名を書くのは止める。一曲だけ紹介したい。『雨に咲く花』という曲で、戦後、井上ひろしという歌手がリバイバルでヒットさせたが、そのことはどうでもいい。オリジナルは、1935年に作られ、関種子(たねこ)という歌手が歌った。そして、そのオリジナル盤は、アラン・パーカー監督の『愛と哀しみの旅路(1990年製作)』という映画のテーマソングに使われた。
  『愛と哀しみの旅路』については以前にも書いたが気がするが、第二次世界大戦中の、日系人の強制収容所の苦難を背景に、デニス・クエイドが扮するリベラルのアメリカ人と日系二世女性との恋愛が描かれる。わたしはこの映画をはじめて観たとき、アメリカの日系社会について無知だったことを恥じた。またこの映画は日本人によって作られるべきだと思い、その思いは、日本の伝統行事を英文併記で紹介する『日本の伝統行事 Japanese Traditional Events』という大型本を作る大きな動機になった。『JTE』が完成して、わたしは日経社会に数十冊を寄贈した。

  美空ひばりは『雨に咲く花』をカバーしている。その歌唱は、完璧というしかない。何をもって完璧というかは、人それぞれかもしれないが、まず絶対に音程が狂わない。音程が狂わないなんて、歌手だったら当然だと言われるかも知れないが、最近の紅白歌合戦を聞くまでもなく、音手が狂うというか、メロディ通りに歌えない歌手やグループは大勢いる。さらに美空ひばりは、歌詞がきちんと聞えるように歌う。これも当たり前ではないかと言われそうだが、歌詞が全く聞えてこない、何を歌っているのかほとんどわからない歌手も大勢いる。
  「劇団四季」の浅利慶太は、同様のことを歌手に指示していたと聞いた。メロディを勝手に崩さない。歌詞がはっきりと聞えるように歌う。実際は、非常にむずかしい。「劇団四季」は、現代日本で最高の歌手と、それにダンサーをそろえているが、それは、実力のあるアーティストの活躍の場が限られているということに加え、浅利の厳格な演出と指導があるからだと思う。

  そして、さらに美空ひばりは、情感を前面に出さない。抑制されている。
  ひょっとしたら他の歌手のカバーなので、リスペクトを示すために抑えているのかもしれないが、すごい技術だと思う。ダメな歌手に限って、いわゆる「泣き」という歌唱を好む。情感たっぷりに、まるで役者のように、演技をするかのように歌う。涙を誘うためだが、わたしは嫌いだ。マリア・カラスも、ビリー・ホリデーも、エディット・ピアフも、その歌唱は厳密で、抑制されている。声に力があるので、ことさらに情感に訴える必要はないのだ。
  わたしは、キューバ音楽に出会い、新旧、多くの優れた女性歌手を知った。シオマラ・ラウガー、ハイラ・モンピエ、タニエ・バントーハなど、レコーディングや日本公演をプロデュースした歌手もいる。彼女たちも、偉大な声によって、情感を抑制することができた。

  美空ひばりには、一度だけ会ったことがある。コンサートなどではなく、西麻布の有名な和食店だった。わたしは友人と二人でカウンター席にいたが、隣で、当時女優や女性歌手を撮らせたら当代随一というカメラマンが一人で日本酒を飲んでいた。先生、ご無沙汰しております、と言いながら、一人の小柄な女性がカメラマンに近づいてきた。確か赤いワンピースを着ていたが、ごくオーソドックスなデザインで、ヘアもメイクも、派手なところはまったくなかった。あれ?とわたしの友人が言った。
「あの人、美空ひばりじゃないかな」
  隣を見ると、歌手とカメラマンは、静かに談笑していて、周囲の注意を惹くような声も仕草もなかった。確かに、美空ひばりだ、すごい、そう思った。戦後日本を代表する女性歌手に、オーラのようなものはなかった。わたしはそのことをすごいと思ったのだ。オーラなど、わたしは信じない。テレビや雑誌でよく見かける人を実際に見たときに、既視感がオーラという幻想を生む。自分はテレビや雑誌でしかお目にかかれない人を間近に見ていると、勝手に感動しているだけだ。
  非常に有名だがオーラを感じない。それが本物だ。オーラなど漂わせる必要がない世界に長く身を置き、当然のようにサバイバルしてきた。競争相手もないに等しく、唯一無二の存在だった。そういった人は、五十年か百年に一人、しかいない。

  美空ひばりがカバーした歌謡曲は、戦後の貧しい時代、あまり楽しくなかった幼少期の記憶がよみがえるので、聞いていて楽しくなるというものではない。だが、いったん聞きはじめると、脳の深部に作用して、止めるのを忘れてしまう。こうい歌をもう一度必要とする時代が来るとしたら、それは日本人がもう一度、悲惨な歴史を生きるときだろう。

Re: すべての男は消耗品である 最終巻 - まろや (女性)

2021/03/07 (Sun) 23:17:07
*.dion.ne.jp

エッセイ集を読み直していましたら、ひばりさんについて書かれている箇所がもう一ヶ所ありました。

ーオヤジバンドへの共感と違和感ー P.94~P,95
(一部抜粋)
  わたしは、まるで音楽そのものが終わってしまったような印象さえ持つことがある。たとえばポップスだと、どこに新しいものがあるだろうか。たぶんシャンソンもカンツォーネもきっとどこかで歌われているのだろうが、たとえばエディット・ピアフのような歌手はもうどこにもいない。

 もう半世紀近く前だが、フリージャズのサキソフォン奏者アンソニー・ブラクストンが来日して、ジャズの雑誌に彼のインタビューが載った。アンソニー・ブラクストンは、『フォー・アルト』という名盤を残していて、作曲と哲学を学んだ本物の音楽家だが、そのインタビュー記事で、ある日本人の有名なジャズマンを評して、「これはただのコピーだ、ジャズでも何でもない」と言っていた。そのあと、偶然テレビで聴いたらしい美空ひばりについて、「この歌手は誰なんだ、これは本物だ、ブルースだ」と話していた。

  確かに、日本の、往年のジャズ歌手、シャンソン歌手は、ほとんどが偽物で、今となってはもう聴けない。どうして当時、人気があったのかわからない。本場のジャズやシャンソンをなぞるだけでよかったのだろう。そして、美空ひばりは紛れもない本物の歌手だ、ただ、美空ひばりがレパートリーとする音楽のカテゴリーが、残念ながらどうしても好きになれない。
・・・以下省略・・・

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